日本タングステンの歴史

第1回:日本タングステンの創立に至るまで

当社の創立は、昭和6年4月1日です。初回となる今回は、創立者の1人である秋山英二氏の経歴を紐解いてみましょう。

秋山英二氏は、明治29年佐賀県で生まれ、大正6年に熊本高等工業学校の冶金科を卒業しました。卒業後、当時日本一の産銅会社で今の日本鉱業の前身の久原工業日立精錬所に入社したのです。そこで秋山氏は技師として、新しい金属や未知の冶金に対して並々ならぬ情熱を燃やしていました。

その頃、双日の前身である鈴木商店が、タングステンの精錬・加工の有望性に目を付け、新会社の設立を進めていました。設立には工業化学の専攻だった京都大学の中沢良夫教授が携わっており、たまたま秋山氏と出会った結果、秋山氏は東邦金属の前身である日本冶金株式会社入社することになったのです。秋山氏が24歳、大正9年のことでした。

日本冶金では、新技術の指導を受けるためアメリカから技術顧問のロジャース氏を招き、タングステン、モリブデンの精錬加工の技術指導を受けました。秋山氏の技術を吸収する速さは凄まじく、ロジャース氏は滞在期間を2年の想定で来日していましたが、1年で済んでしまうほどでした。

それから10年が経ち、日本冶金、秋山氏ともにタングステン、モリブデンにおける日本屈指の存在となりました。

若き日の秋山英二
若き日の秋山英二

しかし、昭和6年、タングステンにおける様々な新製品を開発したい秋山氏は、タングステンワイヤーの専門会社としての経営方針を変えようとしない日本冶金を辞め、夢の実現を目指すことにしたのです。